ディスクユニオンJAZZ館のホームページを見て、こんな本が発売されるということを発見しました。
「JAZZ1000円名盤ハンドブック」
再発見&新発見! 1000円で買えるジャズCDの愉しみ
いかにJAZZが売れないかというのが分かるのと同時に、CD売り手側のなりふり構わぬ販売戦略にはもう笑うしかなくなってしまいます。行方均さんのお名前が。さすが商売上手ですな~。日本ジャズ業界のカルロス・ゴーン(笑)。
Amazonの「内容説明」をコピーすると。
昨今、大量リリースされる1000円代のジャズ名盤シリーズ。
何を聞いていいのかわからない、どれだけのCDが出ているのかわからない…。
そんな疑問に応えるべく、決定版となるガイド本!
ハンディサイズで、本書を持ってレコ屋に行こう!
ちなみに「著者について」のところ、HTMLの使い方間違ってますから(涙)。
何を聴いていいのかわからない”いたいけなJAZZファン”をいたぶってしまおうという戦略。ゴメンナサイ!それは言い過ぎでした。JAZZを多くの人に聴いてほしいという純粋な親切心からのものであることを願います。
こんな時代がやってくるとはね。
安くしないと物が売れない現実。
ジャズの過去遺産をむさぼり続けるだけのレコード会社。
今ジャズをやっている人達がほんとうにかわいそうだと思いますよ。
啓蒙してジャズファンを育ててきた時代の終焉。
つまりはジャズ評論家不要の時代。
まあ色々思うことはありますがこのくらいでやめときます。
いたいけなジャズファンはこの本を買ってジャズを聴いて下さい(笑)!
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さて話は変わります。
ちょっと最近考えていた戯言を書きます。
最近私はこの手のパターンが増えてますね。m(_ _)m
60年代頃までは売れなかったと思われるジャズですが、70年代前夜マイルスがファンク(当時のブラックミュージックのメインストリーム)を取り入れた頃からセールスも期待できるようになりました。CTIレーベルとかがその路線の典型です。そういう音楽は当初クロスオーバーと呼ばれていて後にフュージョンと呼ばれるようになります。
そうフュージョンです。フュージョンと言えば”シャリコマ”、コマーシャリズム(商業主義)ですね。売るための音楽。もちろんコマーシャリズムに走らないフュージョンもたくさんあります。私のような古い人間は、コマーシャリズムと結びついたフュージョンは”ダメジャズ”という認識が根強く残っています。今でも私がうかつに「これはフュージョンです。」などと言おうものなら、ジャズ歴が長い人から「そういう言い方をしてほしくない。」といった意見があったりします。
ジャズを聴き始めた1982年頃、数少ないジャズ好きの知り合い(当時からジャズファンは少なかった)に、私が「ウェザー・リポートが好きです。」と言ったら、「あんなのジャズじゃない。」と言われたことは今でも鮮明に覚えています。その人はセロニアス・モンクが好きで、「ジャズ好きならモンクを聴かなきゃ。」みたいなことも言われました。
話はちょっとそれます。バブル前夜とバブル期の日本でジャズが多くの人に聴かれたことにより、それは多分お洒落な流行音楽でしかなかったのですが、ジャズファンが増えたという大きな錯覚をしてしまった事実に気付くべきです。当時のジャズは単なる流行だったのです。流行は去って久しいのです。これからジャズが流行になるとも思えません。だから未だに当時のようにジャズファンが増えると思っている人がいるのなら、それは大きな間違いだと思います。
話を戻しまして。ウェザー・リポートですら”フュージョン=コマーシャリズム音楽”として非難する人達がいたという時代を経験してきました。パット・メセニーもその類で事実私も最初は単なるフュージョンだと思っていました。当時私はフュージョンも好きだったので複雑な心境でジャズを聴いていました。まあそうは言っても当時もっとも身近なジャズファンはギターも弾く従兄であり、ギターアイドルが渡辺香津美だったのでフュージョンを聴くことに肩身が狭かったわけではありません。
なんでこんな昔話をしたかというと、ジャズがフュージョンでコマーシャリズムに走って、コアなジャズファンから非難されたという歴史があるという事実を再確認したかったからです。これは日本だけの傾向なのかもしれませんね。ジャズ評論家が主導した結果なのでしょうし、何というか潔癖な日本人の性格に合っているものなのかもしれません。
面白いのはヒップホップにも同じようなことが起きていることです。元々アンダーグラウンドだったヒップホップが80年代にメジャーになり、90年代のギャングスタ・ラップの爆発的なヒットによりヒップホップが金儲けの対象(コマーシャリズム音楽)になると、日本のコアなヒップホップファンはそういう売れ線ヒップホップから離れてしまう現象があるのです。私の今の感触によるとそれは日本のクラブミュージックシーンの傾向で、クラブDJ周辺の人達主導によるものであろうと察しています。上記のとおりジャズが歩んできた道のりと同じです。
さて、そんなクラブミュージックシーンの人達ですが、事が一旦ジャズの話になると、私が聴けばフュージョン(コーマシャリズム音楽)でしかないものを”ジャズ”として歓迎している事実に困惑してしまいます。ヒップホップの時に見せる態度とジャズに対する態度が違うじゃないかということです。それは私に言わせればジャズが分かっていないんじゃないかということなのですが、つまりは”踊れる”をキーワードにしてジャズを選別した結果なのでしょう。
うんっ、待てよ。逆に私はコマーシャリズムなヒップホップを今楽しく聴いてますよね(笑)。そうか、上記の論理だと私はヒップホップが分かっていないということになりますよね。私はヒップホップが分からないジャズファン。面白い!
なるほどね。結局そのジャンルの音楽の意図がよく分からないと表面上の気持ち良さや楽しさで聴いてしまうのでしょう。ある意味潔い姿勢だろうと思います。ただし私のジャズの聴き方は”ただ気持ち良ければいい”という次元にはもう戻れません。そういえば寺島靖国さんが提唱しているジャズの聴き方も同じような次元の話ですね。クラブジャズ的ですよ。
時代のトレンドに沿っているからと言って良しとする気もありません。流行を消費するようなジャズの聴き方をする気もありません。それがコアなジャズファンってものでしょう。良くも悪くもこれまではジャズ評論家によってそういうジャズの聴き方が啓蒙されてきたのだと思います。私は正に由緒正しきジャズファンです(笑)? 流行りに左右されるのではなくストイックに自分のジャズを追及する人を愛します。
そしてそして、中山康樹さんが著書「ジャズ・ヒップホップ・マイルス」でジャズとヒップホップをつないでいる路線は、コマーシャリズムを排した路線でもあるということになりますよね。なるほど。音楽において”コマーシャリズムを排する≒批評性”という見方が出来るような気がしてきました。これまた面白い!
以上で戯言は終了。
最近はこういうめんどくさいことを言う人があまりいないので敢えて書きました。
もの分かりが良いジャズファンになる気は毛頭ございません。
古い考え方ですって、”フンッ、結構毛だらけ猫灰だらけ”です(笑)。
毎度のことですが書く(文章/言葉にする)と自分の頭の中が整理されます。
時には当初思っていたこととは違う結論に至ってしまうこともあります。
整理されるというか考えていることがよく分かるようになりますね。
面白いですよ!これが言葉にすることの重要性なのです。
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