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今更ですが、私にとってのクラブジャズとは?

今年の1月末、上京する際にいらないレコードを買取りに出そうと思い、レコード棚をチェックしているとこんなレコードが出てきました。

P124 ジョン・シーミス『ファンタジック・モーニング(原題:ULYSEES AND THE CYCLOPS)』(1985年)です。内容はフュージョン。タスキを捨ててしまったので、このジャケットからは誰の何というアルバムかがさっぱり分からず、仕方がないのでライナーノーツを読むことにしました。そこにこんなことが書いてあったのです。(ちなみにこのアルバムは全く面白くなかったので売り払いました。)

「このアルバムはキャニオン/コーダ提携による《おしゃれサウンド革命》の第2回日本発売分に選出された。」

《おしゃれサウンド革命》? いかにも80年代を象徴するようなキャッチコピーです。ライナーノーツ片面にはこのアルバムの内容が書かれていて、裏返してみると今度はその《おしゃれサウンド革命》についての説明が書かれていました。

P125

”レコードは聴く時代から活用する時代へ”、”活用する”、ここに興味を持った私は一体どういうことなのか、中身を読んでみることにしました。実に興味深いことが書いてありましたので、最初の方をそのままここに書き写します。

 キャニオン/コーダ提携に依る《おしゃれサウンド革命》とは、我が国のキャニオン・レコードが英国のジャズ/ファンク・レーベル、コーダとの販売契約成立を機に同シーンのサウンドをレコードとしてただ聴くだけのものからミュージック・マテリアルとしてもっと立体的に活用し且つ、楽しんでもらおうといった前向きな企画で誕生した言わば、《レコードは聴く時代から活用する時代へ》のキャッチ・フレーズをモットーとする1億総サウンド・スタイリスト・キャンペーンである。
 とは言え、音楽を活用するなんて技は無声映画時代からあるにはあった。
 けれどそれが一般消費者(リスナー)の次元でやれテープに詰めてドライブだの、風景に合わせてウォークマンで楽しむだのと取沙汰されるようになってきたのは言うまでもなく猫も杓子も、のヴィジュアル時代に突入した昨今のことであろう。
 その好例が80年代を境に爆発したブリティッシュ・ジャズ/ファンク・ムーヴメントと、少し遅れてやって来た米国のウィンダム・ヒル・サウンドだ。
 前者の主役はむろんシャカタク、後者は当然ながらジョージ・ウィンストンである。
 彼等の音楽をスピーカーと向かい合って聴いているというファンを僕は未だかつて知らない。
 シャカタクやジョージ・ウィンストンを愛聴している音楽ファンは9割近くが自分のTPOに合った ”美GM” としてそれを活用⇒スタイリングしている人々である。
 否、シャカタクやジョージ・ウィンストンに限らずどんなジャンルにせよ、レコード購買層は聴く人々より活用する人々がその主流をしめていると今や断言していいだろう。
 つまり”レコード(音楽)はオーディオ・ルームから街へとび出した”のだと―――。
 現代においてレコードはもはや聴覚だけでなく、視覚、触覚、臭覚、味覚の5覚全体で楽しむものへと変わってきている。
 その料理人は当のアーティストでもなければ、評論家でもない。
 リスナー自身なのである。
 そしてそんなミュージック・マテリアルの一般ニーズの高まりをいち早く察知し、そうした1億総サウンド・スタイリスト達の要望に応えるべく誇らかに”マテリアル感覚のおしゃれサウンド”革命を宣言したのが、キャニオン/コーダ両レーベルの画期的な提携契約による《おしゃれサウンド革命》というワケだ。

”1億総サウンド・スタイリスト”、”美GM”、って(笑)。私はこれを読んで”ピンッ!”ときました。ここに書かれていることはほとんど今に当てはまると思うのです。そしてここで対象にしている音楽を”レアグルーヴ~クラブジャズ”に置き換えてみても収まりが良いと思います。目から鱗が落ちたというか、霞が晴れてはっきり見えたというか。”なるほどな~”と思いました。あれから約30年経った今、80年代の雰囲気が来ているという意見に、これを読んでやっと同意できる気分になりました。

クラブジャズの音源/レコードは踊るために活用する音楽素材、イギリス発の動きだということ、オーディオ・ルームの大きいものがジャズ喫茶、”聴く”は”鑑賞する”ということ、”1億総サウンド・スタイリスト”は”1億総DJ”ということ、ファッション性との関連性、アーティストでも評論家でもなくリスナー、などを考えると実に腑に落ちるのです。あちゃ~っ、新しいと思っていた価値観が実はもう体験済みだったという(笑)。当時のジャズ/フュージョン・シーンをきちんと評価していないから、当時のシーンに何が起こっていたのか、今やほとんどの人は知らないということを実感。

80年代、ジャズ誌/ジャズ評論家/ジャズ喫茶の頑固オヤジは、シャカタクは当然の如くフュージョン(=ジャズではない)扱いでしたし、ジョージ・ウィンストンはジャズか否かで激論になっていました。私がジャズに憧れて20代を過ごしたのは正にその時代。私はもちろん”清く正しいジャズリスナー”を目指して修行中でしたから、「シャカタク/ジョージ・ウィンストンだっ?そんなもんジャズじゃねーっ!」とミエをはっていました(笑)。つまり私はジャズについては「活用する」のではなく「聴く」を選んだのです。まあシャカタクはフュージョンとして好きでしたけどね。ジョージ・ウィンストンの流れは一時期(今も?)流行りの雰囲気重視のピアノ・トリオ需要だと思っています。

そういう時代を若者時代に過ごして来た私のようなジャズリスナーは多いはず。当時は「難しいジャズを聴いてやろうじゃねーか。」という反骨精神もありました。当時からのジャズリスナーは、そういう気骨溢れる人が未だにジャズリスナーとして残っているとも言える気がします。だからクラブジャズをそう簡単に受け入れられないのです。こればかりは頭で受け入れようとしても、体が拒絶反応を起こします。私が前から言っている「クラブジャズ ≒ フュージョン」も再認識できたと思います。

さて、ここから更にとんでもないことを書きます。

ちょっとした喩話をします。そうすれば少しは客観的に眺められると思うのです。この喩はクラブジャズ・サイドからすれば「ちょっと待ってくれよ。」と言いたくなるでしょう。ですが、私にとっては自分の心の内を上手く反映しています。

チャーリー・パーカーに端を発するアートなジャズ ⇒ 絵画

「踊れるかどうか」を唯一の価値基準にして選別するクラブジャズ ⇒ 「銭湯(公衆浴場)の壁に似合うかどうか」を唯一の価値基準にして選別するインテリアとしての絵

あまりに差別的な喩(笑)。でもこのくらい極端でないと本質があぶり出せません。ジャズ喫茶は美術館とでも考えてもらえれば良いでしょう。で、以下のようなことを並べてみます。こちらも分かりやすいように単純化してあります。どう思われます?

銭湯に似合うかどうかは雰囲気で決めることになります。
銭湯には富士山が良く似合うというような傾向があります。
C/D級の絵もそこでは関係ありません。
銭湯に入らないと分からない雰囲気というものがあるでしょう。
最近は銭湯の壁がゴッホ、セザンヌ、ピカソ、ダリの絵画だったりします。
銭湯から美術館に持って来れば湯煙がないので絵の細部が良く見えます。
少数派ですが銭湯で絵を鑑賞する人達もいます。
絵画は筆のタッチ、色使い、構図、個性、強度、細かいことを鑑賞されます。
絵画には絵画の、脈々と受け継がれた鑑賞手法というものがあります。
一方で時代に即した鑑賞手法を模索している方もいます。
美術館に銭湯に似合う絵が展示されれば当然鑑賞の対象です。
美術館に展示された銭湯に似合う絵を見た館長が鑑賞手法を変えちゃうとか。
美術館にアンティークやおもちゃを展示するなら鑑賞手法が変わって当然。
私はプライベート美術館を持っています。

以上、分かる人には分かると思います(笑)。クラブジャズ・リスナーとジャズ・リスナー、世代間の差に押しこめきれない信条の違いがあると思います。単純に新しい感覚と古い感覚の違いとも思えません。両者の溝は簡単には埋められないような気がします。

数か月間、書こうかと思いつつまあどうでもいいかとも思っていたのですが、とうとう書いてしまいました。偏屈ジャズオヤジの戯言。とは言え、イッキデラックスに登場いただくまでもありませんでした(笑)。大半の人にとっては、どうでもいいっちゃー、どうでもいい事でしょう。

コメント欄も面白いのでどうぞ ⇒ 今更ですが、私にとってのクラブジャズとは?
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ジャズ・アルバム紹介」カテゴリの記事

コメント

いっきさん、こんばんは。

クラブジャズが好きな人は、クラブジャズはアーティスティックな
音楽だと思っていると思いますよ。
ジャズ聴きはクラブジャズに興味ないし、クラブジャズの人は「ネタ」としてDJがマジジャズに興味があるだけで、聴いてる人たちは元ネタの音源(ミュージック・マテリアル)に興味はないでしょう。てか、クラブジャズ終わっているし・・・(笑)。

まぁ、音楽つーよりも人間の感覚の変化が大きいのでは? 分からない事は分からないのですから、これは年代断層として理解するべきだと思います。全てはプライベートな出来事でしかない今は、共有できる価値観に理解を求めても無理(ウザイ)がある。

投稿: tommy | 2013年6月13日 (木) 04時09分

tommyさん

こんばんは。

>クラブジャズが好きな人は、クラブジャズはアーティスティックな音楽だと思っていると思いますよ。

そうですか?だとしたら元々クラブジャズが提示した”アーティスティックなものとして捉えない”という当時としては新しい視点(原点)を捨てることになりますよ。何のためのクラブジャズなんでしょうか?

>聴いてる人たちは元ネタの音源(ミュージック・マテリアル)に興味はないでしょう。

そうではない人達もいます。

>クラブジャズ終わっているし・・・(笑)。

えっ、そうなんですか?

>まぁ、音楽つーよりも人間の感覚の変化が大きいのでは? 分からない事は分からないのですから、これは年代断層として理解するべきだと思います。

っていうか、今の状況は80年代と似てますよ。そういう中で私のような信条の人がいたということは、今私と同じような信条の若者がいるはずで、だから世代間の差に押しこめきれないと言っているのです。

>共有できる価値観に理解を求めても無理(ウザイ)がある。

ウザイと言われたからと言って物分りが良いような振りはしないと、イッキデラックスが言たじゃないですか(笑)。

私はシーンの活性化という名目で中山さんがマンハッタン・ジャズ・クインテットを担ぎ上げ、当時の状況に危機感を抱いた後藤さんが「ジャズ・オブ・パラダイス」を刊行した当時がオーバーラップしてしょうがないんですけど。今はもう周りが鈍感なんでそんなことを考えているのは私だけみたいです。

投稿: いっき | 2013年6月13日 (木) 20時00分

>今はもう周りが鈍感なんでそんなことを考えているのは
>私だけみたいです。

だと思いますよ。
みんな考えることをやめて流されることにしたんですよ(笑)。

まぁ、オレやいっきさんの年代なら許されたのですが、今そのような感覚、信条で反応すると確実に「損をする」という現実があります。
感覚的にいたとしても、そのリスクにも耐えられるという人は・・・いるのかな?
当時のいっきさんと状況が同じじゃないと思いますよ。

最近、キンドル本のワークショップに熱中していますが、どこもオジサンたちがやることは同じです。矛盾と混沌はジャズに限ったことではないことを実感しています(笑)。
私はもうすぐジャズ聴きに新しいアプローチをしてみようと思って準備しています。これは話題になることを願っています。

投稿: tommy | 2013年6月14日 (金) 02時27分

>だとしたら元々クラブジャズが提示した”アーティスティックなも
>のとして捉えない”という当時としては新しい視点(原点)を捨て
>ることになりますよ。何のためのクラブジャズなんでしょうか?

これは、絵画とデザインの関係に似ていると思うんですよ。アート的なモノって確かに凄いが日常的な感覚からすると重く息苦しい。んで、デザインは商業的な要素が強くてアートの純粋さで対応すると精神的に破綻してしまう。でも、アーティスティックじゃないと商売にならない。
そのバランスをとりながらやっているのがデザイナーなんです。「アートという気分な商売人」なんですよ。

クラブジャズもアート、サブカルチャーという気分にさせないと集客できない現実がある。大塚さん、菊地さんなんかめいっぱいサブカルしていますよ。アート&サブカルチャーという合法ドラッグみたいな気分を売っているのです。まぁ、ダサイと言えばダサイ(笑)。

投稿: tommy | 2013年6月14日 (金) 03時19分

tommyさん

こんばんは。

>まぁ、オレやいっきさんの年代なら許されたのですが、~  当時のいっきさんと状況が同じじゃないと思いますよ。

損ですか~。なるほど。つまらないな~。

>最近、キンドル本のワークショップに熱中していますが、どこもオジサンたちがやることは同じです。

そうなんでしょうね(笑)。

>私はもうすぐジャズ聴きに新しいアプローチをしてみようと思って準備しています。

頑張って下さい。

>これは、絵画とデザインの関係に似ていると思うんですよ。

その感触は何となくわかります。私の喩でいけばインテリアとしての絵を選別するわけですから、要はインテリアデザイナーとも言えるわけで、そうだとすれば同じデザイナーであるtommyさんの感覚はそのとおりなのだろうと思います。

>大塚さん、菊地さんなんかめいっぱいサブカルしていますよ。アート&サブカルチャーという合法ドラッグみたいな気分を売っているのです。

いいんじゃないですか。私は別に大塚さんも菊地さんも否定する気はありません。

投稿: いっき | 2013年6月14日 (金) 20時26分

誰でもアートが理解できる自分でいたいのではないでしょうか。
ジャズ聴きには、アートコンプレックスな人が多いと思いますよ。絵も音楽も鑑賞するだけでは解決しない問題なんですけどね。

>いいんじゃないですか。私は別に大塚さんも菊地さんも否定する気はありません。

あぁ、需要があるのだから、それはそれでいいのではないでしょうか。

投稿: tommy | 2013年6月15日 (土) 21時14分

>誰でもアートが理解できる自分でいたいのではないでしょうか。

私は単なるリスナーだからアートが分からなくても別に困らないんですが、どうせ感想しか書かないわけですし(笑)、評論家と名乗る人達はそれくらいは備えていてほしいと思っています。でないと尊敬できません。

>あぁ、需要があるのだから、それはそれでいいのではないでしょうか。

はい。

投稿: いっき | 2013年6月15日 (土) 22時07分

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