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今頃になって『プロセッション』の意味が分かった。

タイトルの『プロセッション』はウェザー・リポートのアルバムです。ウェイン・ショーターの新譜『ウィズアウト・ア・ネット』で《プラサ・レアル》をやっているのを聴いて、そう言えばウェザーのアルバムに入っていたっけと思い、久しぶりに『プロセッション』を棚から取り出して聴いた感想がタイトルです。

P192ウェザー・リポート『プロセッション』(1982年rec. CBSソニー)。メンバーは、ジョー・ザビヌル(key,syn)、ウェイン・ショーター(ts,ss)、オマー・ハキム(ds,g,vo)、ヴィクター・ベイリー(b)、ホセ・ロッシー(per,concertina)、マンハッタン・トランスファー(vo)です。今更説明不要だと思いますが、ジャコ・パストリアス(b)とピーター・アースキン(ds)が脱退し、新メンバーで臨んだ第一作。

ジャズを聴き始めてウェザーに心酔していた私は、この新作が待ち遠しくてしかたなかったです。今か今かと待ちわびていました。スイングジャーナル誌では新作録音風景などの記事が事前に出ていましたからね。確かこのアルバムの録音現場に児山紀芳さん?(中山康樹さんでした。)が潜入したとかで、ウェザーの録音現場に入ったのは日本人で初というのが当時の売りだったはずです。

《ホエア・ザ・ムーン・ゴーズ》では当時大人気だったコーラス・グループのマンハッタン・トランスファー(マントラ)と共演していて、確かマントラが勝手に《バードランド》を歌ってヒットさせた報復として、ザビヌルがわざとマントラの良いところ(コーラスの妙)が出ないように作った曲だというような噂が流れました。真偽のほどは不明。インナースリーブのクレジットにもマントラが記載されていないのはやっぱり嫌がらせでしょうか?(笑)(これは契約上の問題だそうです。そこまでザビヌルをひねくれてませんでしたね。)

さて、タイトルのこのアルバムの「意味」とは、つまり「聴きどころ」のことです。もちろんメンバーが入れ替わってサウンドが変化したのはすぐに分かるのですが、その変化したサウンドはどこが聴きどころかということが私なりに分かりました。それは「黒いグルーヴ」だったのです。

冒頭のタイトル曲はジャコの後釜であるベイリーにハイライトを当てた曲。ある意味抜けたジャコへのあてつけみたいな感じがして、上記のマントラへの仕打ちと言い、ザビヌルの子供っぽさでありしたたかなところが出ています。シャッフル・リズムにのって淡々と展開する曲はちょっと地味で、私はあまり気に入っていない曲でした。今回良く聴いてみるとベイリーのベースが結構黒くて良いんですよね。

ジャコのベースはファンキーでしたけれどこういう黒さはありませんでした。アースキンのドラムも軽かったのでなおさら黒さはありませんでした。それにひきかえ腰の座ったビートを叩くハキムとあいまって、ここからはかなり黒さが漂っています。ベイリーはジャコに比べれば当然派手さはなくなったわけですが、この黒いグルーヴはなかなか魅力的に響きます。少し入るボーカルも黒さを演出?

感じとしては、アルフォンソ・ジョンソンとチェスター・トンプソンの『ブラック・マーケット』にあった黒さに戻った感じです。ただしそっちには当時新たに加入したジャコが入った2曲があって、逆に新しいファンク・フィーリングも打ち出していました。そういえばこの2枚、アルバム・ジャケットにも類似性があります。ジャコが加入したアルバムとジャコが脱退したアルバムに通じる黒さの魅力という視点は新しい解釈かも?

アルバムラスト曲、ハキムの《モラセズ・ラン》は躍動的なビートがカッコいい曲で、私は大好きです。これなんかは『ブラック・マーケット』に入っていたジョンソン/トンプソン・コンビの《ジブラルタル》のテイストに似ています。《モラセズ・ラン》にはコルトレーンの《至上の愛》に似たボーカルまで入っていて、黒さが聴きどころになっているのは間違いなさそうです。この曲ではハキムがギターを弾いています。

《トゥ・ラインズ》と《ホエア・ザ・ムーン・ゴーズ》も黒いのです。それら黒い曲に挟まれたショーターの《プラサ・レアル》はロッシーの弾くコンサーティナ(バンドネオン?)と相まって哀愁溢れるアルゼンチン・タンゴ調で、《ザ・ウェル》はザビヌルとショーターの名古屋公演の即興で牧歌的な初期ウェザー調。レコードではA、B面3曲ずつ、黒い曲に挟まってこれら2曲が入っているのも上手い配列です。

それにしても曲によってはレベルを小さくされてしまったり、極端に登場度合いが低かったりするショーターですが、それでもしっかり存在感を示しているのがショーターの凄さ。当時はスティーリー・ダンの『エイジャ』などでも、ちょっとしか出てこないショーターにファンは歓喜するというような風潮がありました。周りに対してこの人だけ空気感が違うところがコントラストになっていたのだと思います。

そしてファンはショーター三昧のリーダー・アルバムを出してほしいと願っていました。数年後に突然リーダー・アルバムを出すんですよね。で、ファンはどう思ったかというと、ショーター出ずっぱりなのに、「アレッ?意外と有り難味が薄いじゃん!」となってしまったように記憶しています。少なくとも私はそんな感じでした。巷には微妙な空気が流れました。

ちょっと強引なのですが、ショーターの新作にしても私は上記のフィーリングから抜け出せていません。ショーターは他人もしくは連名のグループで自由に個性を発揮しているほうが映えると思うのです。

それはさておき、新生ウェザーの黒いグルーヴがこのアルバムの魅力だと思います。このアルバムが出てからもう30年たったんですね~。

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コメント

児山さんではなくて中山さんでしたね。
マントラのクレジットが無いのは契約の問題って当時のSJに書いてあったと思います。

投稿: WRマニア | 2013年3月 9日 (土) 15時12分

WRマニアさん

こんばんは。
正確な情報ありがとうございます。
本文は修正します。
私の記憶はいい加減なものですね。

投稿: いっき | 2013年3月 9日 (土) 20時18分

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