今日はヒップホップのお話です。
昨年、ジャズ喫茶「いーぐる」 で行われた中山康樹さんの「ジャズ・ヒップホップ学習会」5回に全て参加し、中山さん著「ジャズ・ヒップホップ・マイルス」の出版記念パーティーにも参加し、更に中山さんとは別に行われた「ヒップホップ講座」3回にも参加し、ヒップホップという音楽の魅力に引き込まれてしまった私。
今私なりにヒップホップという音楽の魅力について分かってきたことがあるのでここに書いておきます。あくまでジャズ・リスナーの私なので、ヒップホップ・リスナーからすれば何を今更と思われるかもしれませんし、また勘違いも甚だしいというご意見もあろうかと思います。それでもここに書いておきたいという。困ったものです(笑)。メモ的な意味もあります。
ジャズファンの皆様。m(_ _)m
3点書きます。
1.ブレイクビーツの魅力
ブレイクビーツというのは、ある曲の中の一部分(気持ちが良いリズムブレイク)を取り出して、繰り返し使って曲を作るものです。これはダンスミュージックとしてのヒップホップにおいて、気持ち良いリズムブレイクでいくらでも長く踊りができるという目的から生じたようです。このブレイクビーツという概念、本来なら曲が次々進行していくのが気持ち良さなのに、進行しないことが気持ち良いという発想の転換があります。
私は最初ブレイクビーツという概念に全く気付かずヒップホップを聴いていました。「いーぐる」の「ヒップホップ講座」で何回かそれに触れられてやっと意味が理解できたというありさまです。でもそれに気付いてからは、なるほど確かに面白いということになりました。このように、説明してもらわないと気持ち良さの元が何なのか気付かないことってありますよね。分からなくても気持ち良いのですが、その根拠が分かればよりはっきり気持ち良くなってくるから面白いです。
このブレイクビーツ、どうやって作るかというと、最初は2台のレコードプレーヤーに同じレコードを乗せ、互い違いに繰り返しかけることで作り出していました。DJの技の見せ所です。次の曲はDJであるグランドマスター・フラッシュの技の凄さを示す曲なのですが、1分18秒あたりから出てくる「ダッ、ダッ、ダッ、ダカダッタッタッ、タッタッタッタラッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダカダッタッタッ~ラッ」という感じのベースラインが繰り返されえるのがブレイクビーツです。
ヒップホップにおいて当初DJが花形だったというのはこれを聴くとよく理解できます。だって、こんなことが出来るっなんてカッコ良すぎるじゃないですか。このトラックは全てがライブでやっているのではないようですが、これに近いことはできたそうです。最後のほうにラップが出てきます。このように場を盛り上げるのが当初のラップの目的でした。
さて、このブレイクビーツ、後にサンプラーという機械を誤用することで更に飛躍します。次の曲はそのサンプラーを極めたトラックメイカーのセッド・ジーが作ったトラックです。かなり凝ったことをやっています。
私、かなり気に入っています。カッコ良いでしょ。トラックの上で繰り広げられる4人のラッパーによる応酬を盛り上げています。
さて、ここで編集という行為が表に出てきます。レコードのある部分を切り出してサンプラーに記憶させて繰り返しや挿入を行い、時には音をイコライズして、そういう編集行為によって別物に作り変えます。当初私はヒップホップは編集によってトラックを作るのが凄いというように受け取っていたのですが、どうやらそうではなく、編集はあくまで手段であって、ブレイクビーツという発想が凄いのだということに気付きました。ちなみに「ジャズ・ヒップホップ・マイルス」にはブレイクビーツという言葉が出てきません。
ここでちょっと話が飛躍します。マッドリブというトラックメイカー/プロデューサーがいます。非常に凝った編集をする人で、ジャズをサンプリングしていることから、中山康樹さんはジャズつながりでマッドリブにジャズの未来を見ているようです。この人、当初私も評価していたのですが、徐々にそうでもなくなってしまいました。なぜそうでもなくなったのか? それはブレイクビーツとしての気持ち良さが足りないからです。まっ、たぶんに個人的な好みかもしれませんがそういうことです。後藤雅洋さんはこの辺り、すぐに気付かれていたみたいです。さすが! ひょっとしたらマッドリブはブレイクビーツという目的を忘れ、編集が目的になてしまっているのかもしれません??
ヒップホップにおけるブレイクビーツは、モダンジャズにおけるアドリブに匹敵するものだと私は考えます。
2.ラップのメッセージ性が発する魅力
ラップは全てにメッセージ性があるわけではありませんし、ラップが持つメッセージ性がヒップホップの本質だとも思っていませんが、私はメッセージ性があるものにはある種の音楽的強度が備わっているように感じます。反骨精神が音楽に強度を与えているように思うのです。ラップのメッセージの内容は、黒人への人種差別のみでなく、黒人やヒスパニック系を直撃した貧困、つまり経済格差がその主な中身であり、貧困層に蔓延したクラックによる荒廃、その製造卸しに係ったりしたギャングの生活などもメッセージになっています。
メッセージ性を持ったラップという意味では、ハードコア・ヒップホップの最高峰と言われるこの人達に登場していただくしかないでしょう。パブリック・エナミーです。メディアや社会の不正とその正体を見破ろうとするラップの過激さは前代未聞だそうで、これほどまでに政治的なラップはそれまで存在しなかったとのことです。これは彼らのセカンドアルバムにして80年代ヒップホップの最高傑作の一つ。全曲そのままYouTubeにUPされていたのですが、削除されてしまってので1曲UPします。
「ジャズ・ヒップホップ学習会」にゲストとして招かれた大谷能生さんが、このアルバムの冒頭のサイレンの音を聴いて怖かったとかおっしゃっていました。この音楽的強度はメッセージ性と切り離せないように私は感じます。
次の曲は90年代ですが、ハードなビート上でストリートライフを冷徹に語りつくすものとのこと。モブ・ディープです。
この暗さとヤバイ匂い。最高です。「ジャズ・ヒップホップ・マイルス」ではメセージ性(≒批評性)の中身をきちんと伝えていないところがあると思います。ラップは手法ということで、ヒップホップからラップを切り離してしまうことにも無理を感じます。まっ、「ジャズ・ヒップホップ・マイルス」はジャズとヒップホップの定説を読み変えることに意義があるのでそれでも良いのですが、ここから入るとジャズとヒップホップの本質的な部分を見誤る可能性を秘めていることを指摘しておきます。
3.ドクター・ドレーの魅力
ドクター・ドレーはヒップホップのプロデューサーで、ギャングスタ・ラップという90年代のヒップホップを席巻したブームを作った人です。そのブームは結果的にアメリカや世界中でもヒップホップが広く聴かれるブームをもたらしたそうです。つまりヒップホップのメジャー化を語る時には外せない人。特にアルバム『ザ・クロニック』は最重要作。この人のサウンドはGファンクと呼ばれ、私はこのサンドがとても気に入っています。次の曲はそのアルバムの1曲目。
このアルバムについて「ヒップホップはアメリカを変えたか?」という本の中で次のように書かれています。
「このアルバムはブラックスプロイテーション、ドキュメンタリー・フィルム、70年代ホーム・コメディー、ストリートカルチャーなどの要素が複雑に組み込まれており、まさにドクター・ドレーの才能が全開になったギャングスタ・ラップの傑作だった。ドクター・ドレーは洗練されたポップス感覚やユーモアをギャングスタ・ラップにブレンドする、抜群の芸術的センスがあったのだ。」
上の1曲を聴けばそれは分かりますよね。ヒップホップ界にこういう人が現われたことに意味を感ぜずにはいられません。
ということで、ヒップホップという既に長い歴史を持つ音楽の魅力の一部を私なりに簡単に紹介してみました。もっと詳しく知りたい方はヒップホップの本を読んでみることをおススメします。以下の3冊は私が読んで参考にしているものです。上記の文章の中に一部引用しています。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント