« ファンクという視線でジャズを見る。 | トップページ | ファンク視線でウェザー・リポートを見る。 »

ファンクという視線でジャズを見る。続き

前回はファンク視線でマイルスとオーネット・コールマンを見ました。今回はM-BASE(ブルックリン派)を見てみます。

私がこの人達の音楽を初めて聴いたのは、ゲイリー・トーマスの『バイ・エニー・ミーンズ・ネセサリ』(1989年)です。ものすごくカッコイイ音楽だと思いました。《ユア・アンダー・アレスト》をやっていたし、その作曲者であるジョン・スコフィールドが参加していたので、マイルスつながりで聴いたように記憶しています。デニス・チェンバースのヘビー級ファンクドラミングも炸裂。その次に本家スティーブ・コールマン&ファイブ・エレメンツの『リズム・ピープル』(1990年)を聴きました。この人達には最先端ジャズを感じましたね。当時はジャズが前進していると思いました。

そう思いつつ、当時の私はと言えば、仕事に追われていてジャズをそれほど聴けなかった時期なので、残念ながらその後をフォローしていないのです。だからM-BASEについて書くと説得力に欠ける可能性があります。でもそこは裏技を使ってしまいます(笑)。

P41_3

M-BASE(Macro Basic Array of Structured Extemporization)という音楽理念を掲げて活動する一派(ブルックリンに住んでいたのでブルックリン派とも呼ぶ)は、80年代後半に名前を聴くようになったように記憶しています。この人達もファンクをやっていました。ただし変拍子ファンクですね。当時私は新しいリズムだと感じました。この人達はリズムだけでなくアドリブについても自覚的で、独特の方法論でアドリブをとっています。そのアドリブは浮遊感があってねじれた感じか。当時はやっぱり少々違和感がありました。でもそれが新しさだと受け取れました。

ここで裏技発動。この人達については後藤雅洋さん著「ジャイアンツ・オブ・ジャズ」に登場していただきましょう。1991年発行の本ですが、私はリアルタイムで読んだわけではなく、10年以上後に中古本を買いました。この本の最終章にブルックリン派(M-BASE)としてスティーブ・コールマンが登場します。こんなことが書いてあります。いくつか抜き出しました。

「ファイブ・エレメンツの音楽が追及するのは、リズムだ。彼らの演奏を注意深く聴くと、実に複雑なリズム・パターンが激しく変化していく。だが重要なポイントは、それが聴き手の身体のリズムに実に心地よくフィットする点だ。このへんがウイントン・マルサリスら、いわゆる”新伝承派”の連中が演奏途中でわざとらしくテンポを倍に取る空々しさとは対照的なところである。」
「スティーブ・コールマンの音楽には”現代の身体のリズム”を追及するという基本姿勢がある。だから”新伝承派”で踊るというのは悪い冗談だが、スティーブ・コールマン達の音楽は立派なダンス・ミュージックたりえているのだ。」
「まず彼らは、ジャズが現代置かれている立場を理解しており、そうした条件を十分考えたうえで自分達の音楽を作ろうとしていること。そしてその結果、リズムにおいて、ジャズの伝統たる身体との協同性を新たなレベルで獲得している点である。」
「彼らの音楽が現在、平均的ジャズ・ファンのポピュラリティを得ていないのは、恐らくメロディーの馴染み難さが原因だろうと思う。」
「スティーブ・コールマンとファイブ・エレメンツの魅力は、ミュージシャンの息吹がナマに伝わってくる小規模なクラブでなければ、本当のところはわからないのかもしれない。僕は幸いそういうチャンスに恵まれたけれども、ライブにおける聴衆との一体感は、缶詰音楽のレコード、CDではなかなか伝わり難い。」
「スティーブ・コールマンは、リズムの新しさや、バック・グラウンドとしての音楽体験はまさに現代のものではあるけれども、音楽を構成する基本的な考え方は、ビバップの延長上のものだ。」

実に興味深い内容です。20年前にも後藤さんは身体感覚って言ってますね。これぞ”黒耳”による聴取と言うべきか?

ファンクの延長上に位置するこのリズムが、当時の感覚にフィットしたもので、”ダンス・ミュージックたりえている”というのが特に興味深いです。元々ファンクはダンス・ミュージックですが、複雑な変拍子ファンクでもやっぱり踊れるというのが面白いですよね。後藤さんは”拍子数を(頭で)数えて乗れない”とか言ってないのがいいです。リズムを身体感覚で捉えています。

新伝承派に対するネガティブ発言も面白いですし、スティーブ・コールマンらの音楽がレコード/CDではなく小規模なクラブでないと良さが伝わり難いかもしれないというところも面白いです。

で、思いましたよ。上の文章の”スティーブ・コールマン/ファイブ・エレメンツ”を”ヒップホップ”に置き換えたらどうなるかということです。意外と成り立ってしまうような気もするのです。そうだとしたら、中山さんが「ジャズ・ヒップホップ学習会」でヒップホップが現代のジャズだと言っていたことが分かるような気がしてきました。それも身体感覚というレベルで! ただし、アドリブ・ソロ(インプロビゼーション)の有無という決定的な違いを無視することができないというのが私の意見です。

M-BASEの変拍子ファンクとヒップホップのブレイクビーツ(ファンクがサンプリングされたりした)には、黒人が求める新しいリズム感の同時代性があったのではないかと思います。要はジャズに係っていた黒人とヒップホップに係っていた黒人の違いがアプローチの違いとなって表れただけなのではないかという気がするのです。リズムにフォーカスした場合、”ジャズ耳”のチューニングをちょっとだけ変えれば、意外とヒップホップも楽しめるのかもしれません。ただし、ファンクをジャズとして認める”ジャズ耳”が前提ですが。

話は現代に飛びます。M-BASEは今もニューヨークに脈々と流れています。リズムは特にドラミングが複雑さを増した形になっています。私が昨年のジャズ喫茶「いーぐる」の「年末ベスト盤大会」でかけたルドレシュ・マハンサッパなんかはその流れです。やっているのが黒人ではないので黒さはないですが、今では数少ない面白いジャズの一つだと私は思っています。もちろんスティーブ・コールマンは今も頑張っています。

さて、M-BASE人脈の中ではこの人に触れておかなければならないでしょうね。グレッグ・オズビーです。モロにヒップホップをやっちゃった人です。私が持っているのは『3-Dライフスタイルズ』(1993年)のみ。それも数年前にやっと買いました。オズビーはもう1枚ヒップホップ・アルバムを出しているようですが聴いたことはありません。結局その2枚しかヒップホップをやっていないようです。ジャズサイドの評価ってどうだったんでしょうね?話題になったのは確かみたいです。

本アルバムについて、ジャズ批評誌100号「90年代のジャズ」(1999年)で、原田和典さんが「まず聴くべきはサックスの”鳴り”、そしてブラック・ヘリテイジに対する畏敬の念だ。本作やゲイリー・トーマスの『オーヴァーキル』こそジャズ・ヒップホップの金字塔として語り継がれるべきだろう。」と書いています。注:アルバムにはマーヴィン・ゲイやセロニアス・モンクに捧げた曲が入っています。

JaZZ JAPAN誌Vol.6「ジャズ・ヒップホップの真実」(2011年)という記事の中では、「グレッグ・オズビーの失敗」ということで、須永辰緒さんが「”音の選び方”っていうのは(原因として)あると思います。打ち込みのキック一つとっても流行ってあるんですよ。その音の選び方が古臭いっていうのは感じますね。」と、原雅明さんが「たぶん生楽器の音には神経を使っているんでしょうけど、打ち込みの音、あるいはサンプリングされた音にそれほど気を使っていないような感じがする。」と言っています。

ジャズ側からとクラブ/ヒップホップ側からの、12年の時を経た意見ですが興味深いところです。

ヒップホップ・トラックの上で気持ち良さそうにアルトを吹いているオズビーがいます。多くの曲にラップも重なっています。ブルーノート・レーベルから出ていますから、基本的にブルーノートのレコードからサンプリングしているのではないかと思います。アコースティック・ベースをサンプリングして前に出した曲もあります。ヒップホップをかじりサンプリングの特徴も分かってきた私の耳には、トラックの出来は悪くないように聴こえます。カッコイイと思いますよ。

やっぱりニュー・トラディショナリスツ(新伝承派)を体験したジャズ・ファンには届かない音だったのではないかという気がします。ヒップホップ・ファンにはオズビーのサックスが余計なものに写ってしまったのではないかという気がします。そんな理由から結局広がりは見せなかったのでしょう。

P42M-BASEの中ではグレアム・ヘインズも『トランジション』(1995年)でヒップホップを取り入れています。全面的にヒップホップというわではありませんが、DJのスクラッチとサンプリングが融合され、そこにパーカッションがからみ、バーノン・リード、ジャンポール・ブレリー、ブランドン・ロスというギタリストが活躍。中近東風エスニック風味までもあり、独自のジャズを展開しています。こういうことができるのもM-BASEならではの感性なのでしょう。

ファンク視線でM-BASEを見たら、今の私はヒップホップにまで考えが及んでしまいました。意見の羅列でまとまりはないのですが、私としては気づきがあって面白かったです。

近々ロバート・グラスパーの新アルバム『ブラック・レディオ』が出るのですが、これがヒップホップとの関係が深く、クラブ/ヒップホップ側の人達の間ではかなり盛り上がりを見せているようです。私も楽しみにしています。

HMVの広告:http://www.hmv.co.jp/news/article/1201230067/

一般的な(便宜上の)セグメントとしての”ジャズ村”からあまりにも久々に登場した、進むべきブラック・ミュージックの”真の”未来を指し示す重要作品となり得るか否か?

どちらにせよ、ヒップホップ全盛期(その一方で、ダンス~クラブ・ミュージックとしてのヒップホップが過渡期を迎えているとも)、ブラック・ミュージックとしてのジャズが”脆弱”と叫ばれて久しい今こそ、”ジャズ村”きってのエクスペリメンタリストとしての真価が問われる一枚になることは間違いないだろう。

だそうな。ジャズがすっかりバカにされてしまっている今日この頃です(笑)。

|

« ファンクという視線でジャズを見る。 | トップページ | ファンク視線でウェザー・リポートを見る。 »

ジャズ・アルバム紹介」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ファンクという視線でジャズを見る。続き:

« ファンクという視線でジャズを見る。 | トップページ | ファンク視線でウェザー・リポートを見る。 »