「ジャズ耳の鍛え方」読了
ジャズ喫茶「いーぐる」マスター後藤雅洋さん著『ジャズ耳の鍛え方』を読了。
我ながら遅読ぶりに呆れます。
第3章まで読んだところで熱くなってブログに記事を書きました。
第4章からはちょっと趣向が変わりましたので、
第3章まで読んで一区切りとしたのは正解だったようです。
第4章 ジャズの楽しみ方
要はジャズをしっかり聴きなさいということですが、
そうはいっても中々できないかもしれないので、
・歌から入るジャズ入門
・スタンダードナンバー聴き比べ
・ブラインド・ゲーム
というステップを提案しています。
余談ですが、
映画にしてもTVドラマにしても、
観るほうはしっかり観ろと言われなくてもしっかり観ていると思います。
でも音楽はうっかりするとB.G.M.として聴き流してしまいます。
たぶん強制的に観ないことができる目と強制的に聴かないことができない耳の
機能の違いからくるんじゃないかと思います。
耳は聴こえていても意識に上げないほうがデフォルトに近いんでしょうね。
文明の発展とともに雑音は増加の一途。
聴かない(意識に上がらない)は益々強められ、
音楽はB.G.M.化していくだけなのかも?
大胆な推論でした(笑)。
特にブラインド・ゲームについては詳しく解説されています。
これまでの一般的な言い方は”ブラインド・フォールド・テスト”。
テスト(試験)では堅苦しいので、ゲーム(試合)に言いなおして、
試合というか遊び感覚にしています。
昨年末には「いーぐる」で「ブラインド・ゲーム」が実施されました。
行動派の後藤さんならではですよね。
・パーカー派、パウエル派、トリスターノ派
・ジャズにおける楽器の奏法について
・キーワード編(テーマとアドリブ、スイング感、グルーヴ感、ライブVSアルバム)
・効果的アルバム・コレクション法
・ジャズ耳入門者向け名盤30
・ミュージシャン別コレクションの問題点
・「聴いた感じ」に基づく分類法
というジャズを楽しむ上でのポイントも丁寧に説明してあります。
いずれも私にとっては「なるほどそうですね。」というものでした。
第5章 ”搦め手”からジャズの面白さに近づく
”搦め手”って何て読むかわかりますか?意味はわかりますか?
私は自信がなかったからネット検索してしまいました(笑)。
”からめて”と読みます。意味はネット検索してみてね。
・ジャズ・レーベルとプロデューサー
・白人ミュージシャンVS黒人ミュージシャン または「黒さ、白さ」について
・B級ということ=判官びいき
・海賊盤が照らし出したジャズの二面性
・オーディオについて「CDかアナログか?」
ジャズ仲間で何かと話題になるあれこれについて
後藤さんの見解が述べられています。
私は後藤さんの著書やネット上でのご意見をだいたい知っていますので、
それらがわかりやすく書かれていると思いました。
〆、または”あとがき” - 「ジャズ耳」から「耳ジャズ」へ
第5章と〆は、後藤さんが日頃発言していることのまとめだと思いました。
〆のところでは「頭ジャズ」と「耳ジャズ」という言い方で対比しています。
難しさには二つあり、
ひとつは、哲学や思想、高等数学などの難しさ
もうひとつは、スポーツ習得に要する多大な時間や、職人技の難しさ
前者がもっぱら頭にかかわる難しさだとしたら、
後者は「身体技法」習得の困難さです。
と言っています。
そしてジャズの難しさは後者だとしています。
「頭で理解するもの」ではなく「身体でわかる」ものだと。
それが「耳ジャズ」だとしています。
私も大きく反対はしませんが、
それだけでは割り切れない領域があると思います。
俗にいう右脳的なものと左脳的なものです。
本当に右脳と左脳で分かれて機能しているのかはともかくとして、
左脳の”論理的なもの”と右脳の”感覚的なもの”という
頭には大きくわけて二つの思考方法があり、これらをどう扱うかです。
私には”感覚的なもの”がひっかかるのです。
頭(脳)の感覚的なものも一緒に「頭ジャズ」として排していいのか?
耳(感覚器官)には右脳の感覚的な領域も含まれていると解釈すべきか?
今の言い方には、感覚的思考についてあやふやな表現になっている気がします。
重箱の隅を突くようですが、私には疑問なのでしょうがありません。
この件については「いーぐるnote」にでも質問するとしましょうか?
※後藤さんからコメントをいただいたので、コメントをチェック願います。
〆のところにあるコルトレーンのジャズについては、
後藤さんのご意見に同意します。
『ジャズ耳の鍛え方』
ご興味がある方は是非ご一読をおすすめします。
なお、読まなかったとしても、”死刑”も”おしおき”もしません(笑)。
よしなに!
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