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オーディオに関する戯言を少々

私はオーディオ的な要求からジャズを聴き始めたのですが、いつの間にか音質うんぬんよりはジャズを聴くことに面白さを感じていました。高音質な録音はクラシックやジャズ/フュージョンに多いということでクラシックとジャズの両方にトライした結果、ジャズ/フュージョンを聴くことが面白くてしょうがなくなっちゃったのです。

それでもジャズを聴くとオーディオ的に色々気になったものです。古い録音ものが古臭い音なのはしょうがないとして、一番気になったのが音像定位でした。

まずはピアノの鍵盤配置です。横一面にピアノが定位する録音の場合、向かって右に低音がきていれば、ピアノニストに対面して聴いている感じであり、左に低音がくればピアニストになった気分になります。ドラムの場合(右利きの通常配列)も同じで右にハイハット左にフロアータムがくればドラマーに対面して聴いている感じであり、左にハイハット右にフロアータムがくればドラマーになった感じです。

これがクラシックのオーケストラ定位なら絶対に決まっていて、左から右に向かってバイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスと並んでいるわけです。なので、オーディオの左右確認に使えます。

ところがジャズの場合は上記の配列がそれこそアルバムによって色々あるわけで、聴いていて気になってしかたがなかったのです。私の希望としては、私が楽器をやらず聴くほうに徹しているので、聴衆気分で聴けるピアニストやドラマーと対面している音像定位に統一してほしかったのです(笑)。

もうひとつの問題が古い録音にありがちなピンポン録音。ステレオ(立体音響)効果を強調するために、楽器を左右にバラバラ配置する場合です。右にトランペットがいるような場合に右チャンネルのみに音が入っていて、左チャンネルにはほとんど音が入っていなかったりします。かなりの不自然さです。実態は立体音響ではありませんね。

こういう録音はステレオ初期の録音で、その後は自然に定位するように、右チャンネルには右の楽器を大きい音で、左の楽器に行くにしたがって徐々に音が小さくなるように録音されています。左チャンネルはその逆に録音されています。

ピンポン録音のもう一つの不自然さは左にピアノ、中央にベース、右にドラムと並んでいるような場合に起きます。

問題をあげる前にレコードの基礎知識を少々。レコードの場合は1本溝に断面が頂角90°の三角形になるよう左右の音を刻んであります。溝の片側の壁に右の音が、溝の反対側の壁に左の音が刻まれています。レコードの場合、片側にだけ低音を刻む場合に問題が生じます。レコードの片方の溝だけに大きな低音が録音されると、片側の溝だけが大きい振幅になり、カートリッジの針でトレースするのがとても難しくなるのです。

それを避けるために、ある周波数以下の低音は中央に録音するという方法をとったりします。中央に低音を持ってくると、左右の壁に半分づつ低音が刻まれるために振幅も抑えられるし、カートリッジの構造上からもトレースしやすくなります。元々人間は低音の位置を確認しづらいという耳の特性を持っているため、中央にしちゃえばいいやという発想。

先の問題提起に戻ります。ドラムが例えば右に録音されている場合です。シンバルやスネアやタムは右から聴こえるのですが、バスドラだけが中央から聴こえてきます。これが嫌でした。ドラマーが2人いるみたいに感じられたからです。

ちなみにベースの場合は低音を弾いても倍音として高音が鳴っていて、人間の耳はそちらにひっぱられる感になるので、右にベースがいてもベースの低音は右から聴こえてきます。オーケストラの場合もコントラバスはちゃんと右から聴こえてきます。

細かいと言えば細かいのですが、オーディオに没頭していた頃はこういうことが気になってしかたがありませんでした。今は全く気にならなくなりました(笑)。

ここで問題提起。大袈裟な(笑)。

オーディオを趣味にしている人は、こういう音像定位や録音会場の空気感つまり音場を気にする人達のはずなのですが、どうもジャズ・オーディオと最近言う人達はあまりこういうことを気にしていないようなのです。ジャズの場合はオン・マイクのマルチ・マイク録音なので、音場を感じさせるために人口エコーを付加していて、音場について気にしようがないというのもありますが・・・。本当にこんなことでいいのでしょうか?

ではこういうジャズ・オーディオの人達は何を問題にするかと言えば、音質(音色)のことばかりです。寺島靖国さんなんかその最たるもので、ケーブルを変えては”シンバルの金粉が舞う”とか、”ベースがズーン”とか、音質(音色)のことばかりに言及します。たまにはベースがポッカリ浮かぶとか、サックス奏者が目の前に起立するとか言っているのですが、あまり印象に残りません。一方、私が信頼していたオーディオ評論家の故長岡鉄男さんはオーディオ求道者だと思うのですが、音場のことは凄く意識していました。

オーディオ・ファンだからこうでなくてはいけないというものではないのですが、やっぱり正統というのは存在する気がします。またまた引き合いに出して申し訳ありませんが、寺島さんがジャズにおいて異端であるように、オーディオにおいても異端であるということは感じます。極論だから面白いので、私も寺島さんのオーディオ本はかなり読んでいるのですが、いざ自分のオーディオに戻ると、寺島さんのようにしようとは思いません。

そして、オーディオにおいて低音と高音の音質(”ドンシャリ”バランス)ばかりに言及することと、ジャズにおいて曲(メロディー)のことばかりに言及することは、両者においてたぶんに初心者的発想だと思います。

ジャズとオーディオの両立には色々考えさせられることがあります。なので私は、ジャズを聴くこととオーディオで音楽を再生することには、ある程度線を引いています。では今の私はと言えば、オーディオ的にはあまり突きつめていません。心地よくジャズが聴ければ良い感じです。んっ、それがジャズ・オーディオかな?軽く考えればいいことかも(笑)?

こんな細かいことを言うのはアホなことだと自分でも思います(笑)。

以上オーディオ・マニア兼ジャズ・マニアの戯言でした。

今改めて聴くと、SJ誌のジャズディスク大賞金賞をとったのが頷けます。

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オーディオ」カテゴリの記事

コメント

いっきさん、こんばんは。

いっきさんが言いたいことはスゴク分かる。

でも、文字原稿では音質のことが一番わかりやすいんですよ。

定位や音場は、再生環境で変わりすぎるから、断定出来ない。

「じゃ〜、聴きに来い」って強さが、故長岡さんにはあった。

今は、メーカーも伝える場所を用意できない(笑)。

益々、イメージだけのジャズ・オーディオ幻想販売戦略は

つづくと思いますよ。まず、売りやすいでしょう!!

投稿: tommy | 2010年10月 3日 (日) 23時39分

tommyさん

こんばんは。

定位や音場も文字で伝えられると思いますよ。
音質だってルーム・アコースティックでコロコロ変わります。部屋が変われば、そしてセッティングが変われば、それこそ千差万別の音質になるはずです。
長岡さんの凄いところは、単に音質うんぬんとか言うのではなくて、きちんと検証できる音源を示し、それをどのように再生すべきか一貫性を持って示していたことです。
日本の自衛隊、梵鐘、セイシェル、テラークの1812年序曲の大砲とか特異なものもありましたが、当時はそれが流行ったのだから面白かったです。
少なくとも当時の私にとっては、長岡さんのやっていたことは売るためのオーディオ評論という気はしませんでした。
オーディオメーカーはそんな長岡さんを唸らせたくて、オーディオ製品を開発しては長岡さんのところへ持って行っていたという面白い時代でもありました。
長岡さんは純粋に良い音を伝えたかったのではないかと思います。私は「売るための何とか」ではない発想の人達に興味があります。

だから「イメージだけのジャズ・オーディオ幻想販売戦略」なんて不要。続く限りオーディオなんてものはどんどん本来の意味を失います。

投稿: いっき | 2010年10月 4日 (月) 00時14分

いっきさん

こんばんは。
今宵は好き勝手書かせてね

定位といえば、たとえば、イギリスのエレクトロポップバンドのイレイジャー。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

私は、かれこれ23~24年前から、このポップ過ぎてエゲつないほど砂糖味の効いたエレクトリック・ポップ・ユニットが好きで(ファン歴はジャズより長いナ)、その理由は、彼らの音楽性よりも、録音の定位が好きだということが大きいです。

エレクトリックを駆使した音楽なだけに、定位も気持ち悪いくらいエゲつない(笑)。特に2枚目とか。

この露骨な定位は、私のようなオーディオ素人にも分かるほど、エゲつないです(笑)。

私は中学時代から、MTR(ティアックとかフォステックスのクロームテープを倍速回転させてピンポン録音も可能なマルチトラッカー)で、自作曲を多重録音するのが趣味だったので、文明の利器(?)を駆使した露骨な定位録音ばかりしていたのです。

しかし、素人の浅はかさも自覚し、本格的な録音方法にコンプレックスも多少感じた上での定位いじりだったところに、高校生ぐらいになったときに登場したこのバンド。

おお、俺よりも下品な定位設定だぜ!と感激し、以来、イレイジャーの露骨な定位設定が大好きになってしまいました。

きっとナチュラルな録音が好きな人にとっては、吐き気をもよおすほどの露骨さかもしれないのですが、
「ここまでやるか⇒ここまでやっていい」
という大いなる自信を得ましてですね。

だからこそ、なのかもしれませんが、露骨な定位設定に慣れると、逆にジャズのような楽器の位置関係の分かるような定位も魅力に感じてくるようになるのですよ。

これは、オーディオマニアのみのこだわりのみならず、録音マニアならではの興味でもあるのですが、やっぱり定位って面白いです。

音質云々よりも、よほど発信者の個性やセンス、こだわりが露骨に出る部分だということがすごくよく分かるのですよ。

音楽のアレンジも極論すれば、楽器同士の距離感の問題じゃないですか?
定位や音場もそうなんだよね。
録音やミックスする人の物理的距離感のセンスで、これが気持ちよければ(気持ち悪ければ)、たとえ音質がしょぼくても、私にとっては興味深い音源たりえるんですよ。

たとえば、坂本龍一の『ネオ・ジェオ』や、YMOの『テクノドン』なんかは、曲やサウンドよりも定位、音場の優れたアルバムだったと思いますし、ジャズだと、アキコ・グレースさんの『グレースフル・ビジョン』なんかは、けっこう気持ち良い音場を提供してくれているアルバムだと思います。
名作の『カインド・オブ・ブルー』なんかも、音楽の素晴らしさももちろん十分すぎるほどあるんだけれども、それ以前の音の響きと距離感が気持ち良いアルバムだと思います。
反対に、ピアノは大好きだけど、定位、バランスがいただけないのがドド・マーマロサの『ドドズ・バック』でしょうかね。

これとは逆の気持ちよさなんですが、ロリンズの『ヴィレッジ・ヴァンガードの夜』も、サウンド全体をくるむ空気が気持ち良い録音ですよね。

私はどちらかというと、感想をアウトプットする際は、戦略的に(?)旋律や音色、フレーズを中心にレビューしていますが、ひとたび、個人の感性で「感じる」という側面からみると、かなり音場や定位は意識して快・不快を感じている自分を自覚しています。

それにしても、数年ぶりにイレイジャーを聴いたんだけど、その露骨なミックスっぷりに頭がくらくらです。

音やメロディやアレンジ以前に、たかだか定位と音場ひとつとっても、人をアッパラパーに出来るだけのパワーはある。

そして、それは、いっきさん仰る通り、決して活字化不可能なものだとは思えないのです。

投稿: | 2010年10月 4日 (月) 09時29分

雲さん

こんばんは。
長文コメントありがとうございます。

イレイジャー、YouTubeの動画を聴いてみました。こういうPOPは嫌いじゃないです。
この手の定位ということで言えば、私の場合はJ-POPなんかで感じています。人口的な録音としては面白いです。
各楽器(音)をどこに定位させているかとか、どの楽器(音)にどういう風に演奏させているかとか、レベル(音量)やコントラスト(陰影感)をどのくらいにしているかとか、最近はアレンジの細部に耳を傾けたりして”フムフム”とニヤニヤしています(笑)。
最初の頃はこういう録音はあまり好きではなかたけれど、小泉今日子のCDを買った辺りから派手で安っぽい脚色音も面白く感じるようになりました。
オーディオ・ファンの中にはPOPを排斥する人もいますが、私はそれぞれが面白いと思います。

なので、雲さんがおっしゃることはわかるつもりです。

>決して活字化不可能なものだとは思えないのです。

そうですし、読み手が分かりずらいとも思えないです。

ちなみに長岡さんは、優秀録音盤を集めた本「外盤A級セレクション②」の中で人工的な定位のものでは、ヴァンゲリスの『見えない関係』を取り上げていました。私は未聴ですが、シンセ音が頭上から背後まで飛び回るそうです。

投稿: いっき | 2010年10月 4日 (月) 20時40分

今まで何となく気になってた部分がお陰でかなり
明快になりました^^

ただ、僕の場合音場や音像の立ち方よりはやはり
自分の気になる音(ベースのキレ)が良ければ
気持ち良く聴けますし、そこがダメだといくら他が
良くてもダメなんですね^^;;;

だから、僕もジャズしか聴かないんですが或る意味
音楽ではなく”音”を聴いている部分が強いのかなァ

もっともガラスの割れる音とかの類いには全く興味は
ありませんので、あくまでも音を通して音楽(ジャズ)を
聴くと言うスタンスでしょうか・・

アハハ、意味不明の事を書いてしまいました^^;;

投稿: woo | 2012年5月 1日 (火) 20時41分

WOOさん

初めまして。こんばんは。
コメントありがとうございます。
オーディオについては皆さんそれぞれ拘りがあると思います。
それはそれで良いと思います。
私も最近はもっぱらベースやバスドラの沈み具合、シンバルの金属感とか、寺島靖国さん的オーディオになってしまっています。
更に最近はヒップホップのサンプリング&人口音場にもすっかり気持ち良く浸れる体質になってしまいました(笑)。
私はオーディオに対する自分の立ち位置が自分で分かっていればそれいいと思いますし、最終的には自己満足がオーディオの基本だと思っています。
”音をとおして音楽を聴く”、至極まっとうなオーディオだと思います。

WOOさんのブログ、ワールドワイドで素敵ですね。

投稿: いっき | 2012年5月 1日 (火) 22時38分

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