最近の若者は音楽を聴かない?
昨日のミュージックバードの「PCMジャズ喫茶」。
ゲストはバストロンボーン奏者の西田幹さんでした。
寺島さんのトロンボーンの先生です。
番組は最初ちょろっと聴いたのですが、途中で所用があったので中断。
あまり面白そうではなかったので・・・。
で、終了30分前くらいに聴いたら、こんなことを言っていました。
楽器を習いにくる最近の若い生徒が、音楽(CD)を聴かないそうなのです。
「なぜ聴かないのか?」と質問しても特に理由はないんだとか。
深刻な若者の音楽離れが進んでいるようですね。
音楽聴かないのに楽器を習いにくる。
私にはよくわかりません。
「この人のような音楽をやりたい。」とかじゃないみたいです。
やりたい音楽がなくて、先生から課題曲を与えられて演奏するだけ?
それともブラス・バンドとかで演奏したいだけ?
どういう音楽を演奏するかは所属するバンド任せなのかも?
楽器をやる人が増えても音楽需要は増えないということになりそうですね。
なんか、ジャズを必死に聴いている私、アホみたいです(笑)。
こんなことも言っていました。
自分のライブではほとんど稼げないという話。
ライブをやっても一晩で1万円くらにしかならないとか。
地方に行っても、プロモーターがしっかりしていないと、
飲んで、お土産を買ったら終わりだそうです。
プロモーターがしっかりしていれば、5万、8万とかになるそうです。
西田さんの場合は所属するバンドの収入がメインとのこと。
なかなか大変です。
人妻Aさん。
「ピアノ・トリオばかりでジャズらしいのをかけないね。」
というようなことを、「趣味の極道」の三上剛志さんから言われたそうで、
ソニー・クリスの『ディス・イズ・クリス!』をかけました。
本当は普通のCDとSHM-CDの聴き比べをしたかったらしいのですが、
時間の都合で聴き比べは却下!
三上さんの指摘には、ちゃんと答えましたね(笑)。
*
NHKニュースを見ていたら、
都内開かれたディスコ・ミュージックのイベントのニュースをやっていました。
今度出すディスコCDの発売記念イベントらしいです。
50代前後を狙っているんだとか。
イベントでは50歳前後のオジサンとオバサンが楽しげに踊っていました(笑)。
中年向けのCD(パッケージ・メディア)をこれからは提供していくんだとか。
ウェブマガジン「JAZZTOKYO」に興味深いコラム。
「風雲急を告げるジャズCDマーケット」
http://www.jazztokyo.com/column/column_discussion.html
音楽業界。
大変なことになっています。
音楽を取り巻く環境は、大きな変化の節目に来ているように感じます。
と、ブログでのんびり他人事のように呟いている私(笑)。
*
tommyさんから以下のコメントをいただきました。
最近は、どうも楽器をやるのはスポーツと同じようです。
息子のMacotoは、サッカーからピアノ、トランペットですし、
そのためにスポーツジムでバイトしながら鍛えています(笑)。
ブラスバンド、ビッグバンドが人気なのはチームの楽しさです。
後、飲み友達かな?気が合う人が会社にいない(笑)。
ジャズが好きなのではなく、楽器をやってる自分が好き(笑)。
スキーやスノーボードと楽器は一緒なんですよ。
成果を求めている分けではなく、プロセスを楽しんでいる。
んで、時々発表会があるので、また盛り上る。ノミニケーション。
プロの演奏は参考にならない。上手過ぎて(笑)。
楽器をやる=ジャズ聴きにはならない。逆に反比例かも?
自分サイズの音楽にしか興味ないようです。
*
なるほど、そういう感覚なのですか。
楽器をやるのはスポーツと同じ。
でも、私の知っているサッカー好きでサッカーもやる人は
サッカーを見るのも好きですよ。
私も一時期(ブームの頃)スキーをよくしましたが、
スキーワールドカップの回転とかを深夜見ていました。
「ボンバー、(アルベルト・)トンバ」(笑)。
プロのサッカー(スキー)と自分はレベルが違うのは当然でも、
そういう世界一流の技を見て感動するわけです。
私は、サッカーを見るのは好きですが、やりません。
これはジャズを聴くのは好きですが、ジャズをやらないのと同じです。
また、私はカラオケで歌も歌いますが、これだって基本歌が好きだからです。
まっ、何かのグループに所属したい、それが楽器演奏だというのはわかります。
>楽器をやる=ジャズ(音楽)好きにはならない。
>自分サイズの音楽にしか興味はないようです。
私にはどうも今一つ理解できません。
最近の若者はあまりに現実的ってことなのかもしれませんね。
”夢”を見られない若者を作ったのは私達のせい(笑)?
***
**
*
くっ、雲さんから、、、あっ、熱い!メッセージが届きました。
自分探し中人間が多いんじゃないかなぁ?
イジワルな言い方すると、私にとっての自分探しとは、イコール「暇人」です。
夢中になる人、
私淑する対照になる人がいれば、
その人に近づけ!
その人に追いつけ!
その人のワザを盗め!
となるから、脇目もふらずに夢中になっているはず。
気がつくと、膨大な時間を投下しているはず。
とりあえず、楽器でもやってみるか、
とりあえず、スノボやってみるか、
なんて、心の余裕(心のヒマ)は生まれようはずがありません。
だいたい、私淑する人間が偉大であればあるほど、寸暇も惜しいはず。
フィニアスに恋した松本茜ちゃんしかり、
ピエラヌンツィのレパートリーを50曲以上も採譜し、演奏し、ピエラヌンツィをテーマにしてライブまでこなしてしまう西山瞳さんしかり。
結局、一つの対象に夢中になって、それに費やした時間の堆積が“自分”でしかあり得ないわけですよ。
最初は、「とりあえず、今度は●●やってみるか」ぐらいのモチベーションでもいいとは思いますが、
じゃあ、あなたは、その「●●」にどれだけ脇目もふらずに熱中しましたか?ってことだよね。
他に目移りしてませんか?
ポーズだけで“夢中ごっこ”やってませんか? ってことだよね。
好き嫌いはともかくとして、結局、自分自身を形作るのは、「もっとも時間をかけたもの」でしかあり得ないわわけで。
さっきも、「時間の堆積」って書いたけど、やっぱり、本当に「●●」を追求したいと思ったら、あれもやって、これもやってと目移りしているヒマはないはず。
ある時期は一点集中で、バカのようにのめり込む時間というのが必要だと思います。
その時間は、だいたい1万時間が基準だそうで、ある本によると、天才は生まれつきではなく、好きなものに1万時間以上費やした人はたとえ最初は凡人でも、世間から「天才」と呼ばれるレベルに達するのだそうです。
それぐらい、なんというか、一つの物事に腰を据えてとりかかる根性というか気迫のようなもの、そして文字通り「一所懸命」な姿勢っていうのは、全時代的な鬱陶しいものになりつつあるのかもしれません。
でも私は空っぽよりは鬱陶しいほうが好きだな。
しかし、今のキーワードは、鬱陶しさとは対極の、「そこそこ」なのでしょう、おそらく。
そこそこ楽器もできて、
そこそこスポーツもできて、
そこそこ流行にも敏感で、
そこそこ楽しく生きてゆければ万々歳。
いっきさんやtommyさんが書いた趣旨とはちょっと外れる内容書いてしまってますが、まあ触発されたってことで、ネット上のインタープレーってことでお許しを(笑)。
“そこそこ”人生に幸あれ!
“そこそこ”人生に乾杯!
……ああ、クソったれだぜ(溜息)。
いや~っ、カッコいい!雲さん素敵!
長文ありがとうございました。m(_ _)m
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コメント
いっきさん、こんばんは。
最近は、どうも楽器をやるのはスポーツと同じようです。
息子のMacotoは、サッカーからピアノ、トランペットですし、
そのためにスポーツジムでバイトしながら鍛えています(笑)。
ブラスバンド、ビッグバンドが人気なのはチームの楽しさです。
後、飲み友達かな?気が合う人が会社にいない(笑)。
ジャズが好きなのではなく、楽器をやってる自分が好き(笑)。
スキーやスノーボードと楽器は一緒なんですよ。
成果を求めている分けではなく、プロセスを楽しんでいる。
んで、時々発表会があるので、また盛り上る。ノミニケーション。
プロの演奏は参考にならない。上手過ぎて(笑)。
楽器をやる=ジャズ聴きにはならない。逆に反比例かも?
自分サイズの音楽にしか興味ないようです。
投稿: tommy | 2010年1月31日 (日) 20時33分
自分探し中人間が多いんじゃないかなぁ?
イジワルな言い方すると、私にとっての自分探しとは、イコール「暇人」です。
夢中になる人、
私淑する対照になる人がいれば、
その人に近づけ!
その人に追いつけ!
その人のワザを盗め!
となるから、脇目もふらずに夢中になっているはず。
気がつくと、膨大な時間を投下しているはず。
とりあえず、楽器でもやってみるか、
とりあえず、スノボやってみるか、
なんて、心の余裕(心のヒマ)は生まれようはずがありません。
だいたい、私淑する人間が偉大であればあるほど、寸暇も惜しいはず。
フィニアスに恋した松本茜ちゃんしかり、
ピエラヌンツィのレパートリーを50曲以上も採譜し、演奏し、ピエラヌンツィをテーマにしてライブまでこなしてしまう西山瞳さんしかり。
結局、一つの対象に夢中になって、それに費やした時間の堆積が“自分”でしかあり得ないわけですよ。
最初は、「とりあえず、今度は●●やってみるか」ぐらいのモチベーションでもいいとは思いますが、
じゃあ、あなたは、その「●●」にどれだけ脇目もふらずに熱中しましたか?ってことだよね。
他に目移りしてませんか?
ポーズだけで“夢中ごっこ”やってませんか? ってことだよね。
好き嫌いはともかくとして、結局、自分自身を形作るのは、「もっとも時間をかけたもの」でしかあり得ないわわけで。
さっきも、「時間の堆積」って書いたけど、やっぱり、本当に「●●」を追求したいと思ったら、あれもやって、これもやってと目移りしているヒマはないはず。
ある時期は一点集中で、バカのようにのめり込む時間というのが必要だと思います。
その時間は、だいたい1万時間が基準だそうで、ある本によると、天才は生まれつきではなく、好きなものに1万時間以上費やした人はたとえ最初は凡人でも、世間から「天才」と呼ばれるレベルに達するのだそうです。
それぐらい、なんというか、一つの物事に腰を据えてとりかかる根性というか気迫のようなもの、そして文字通り「一所懸命」な姿勢っていうのは、全時代的な鬱陶しいものになりつつあるのかもしれません。
でも私は空っぽよりは鬱陶しいほうが好きだな。
しかし、今のキーワードは、鬱陶しさとは対極の、「そこそこ」なのでしょう、おそらく。
そこそこ楽器もできて、
そこそこスポーツもできて、
そこそこ流行にも敏感で、
そこそこ楽しく生きてゆければ万々歳。
いっきさんやtommyさんが書いた趣旨とはちょっと外れる内容書いてしまってますが、まあ触発されたってことで、ネット上のインタープレーってことでお許しを(笑)。
“そこそこ”人生に幸あれ!
“そこそこ”人生に乾杯!
……ああ、クソったれだぜ(溜息)。
投稿: 雲 | 2010年1月31日 (日) 23時39分