「PCMジャズ喫茶」のゲストは川島重行プロデューサー(その1)
今日の「PCMジャズ喫茶」のゲストは川島重行プロデューサーでした。
寺島さんの紹介では、「日本の3大プロデューサーの1人。」
では、あとの2人は誰?行方さん?木全さん?
マンハッタン・ジャズ・クインテットとは何か?
今日、それが分かりました!
川島さんは最初キングの「20世紀レコード」でポップスをやっていたとか。ジャズについては最初CTI。その後ブルーノートを担当。寺島さんによると、当時のジャズ喫茶では東芝盤とキング盤の喧々囂々の音質比較があったそうです。キングには当時ロンドンの世界に誇るカッティング・マシーンがあり、音質を調整するためにケーブルを選んでいたそうです。今のケーブル交換の走りだったなんて言ってました。
一方、当時の東芝は御殿場のカッティング工場で、アルバイトの女の子にカッティングをやらせていたという噂が流れたとか。行方さんが指導に行ったらしいのですが、そう簡単には上手くいかなかったんだとか。その後、カッティングやレコード音質の話がかなり続きましたが、かなり専門的なので割愛。
上記の東芝のブルーノート盤の話はかなり昔の話。キングからもう一度東芝へ戻りました。UA傘下にブルーノートがあり、UAが東芝へ移った時にブルーノートも一緒に移ったというわけです。これが80年代で、私がジャズを聴き始めた頃ですね。
川島さんは、ブルーノートがキングから移る前に、キングの「エレクトリックバード」を立ち上げるというので抜擢されたとか。増尾好秋から売り込みがあって、世界に通じるフュージョンを売ろうということになったらしいです。この移動には川島さんも最初は反発して無断欠勤したそうです(笑)。で、野口先生と油井先生が川島さんを移動させないように、キングの社長に直談判したんだそうです!でも逆に社長に説得されちゃったんだとか。
「エレクトリック・バード」第2段は本多俊之。大学時代にデビューさせて、当時来日したシー・ウィンド(フュージョン・グループ)と組み合わせて、アレンジャーに上田力(寺島さんは上田さんとは仲が悪いと言ってました。笑)を起用。
増尾の『セイリング・ワンダー』は3万枚売れたそうです。フュージョンは作るのにお金がかかるので、たくさん売れないと元がとれないとのこと。そのアルバムを作るのに1,000万以上かかっているそうで、3万枚売れてトントンだとか。一番売れたのは『グッド・モーニング』(私もブログで紹介済)で3万5千枚。本多俊之のデビュー盤は1万枚。
その後増田幹夫で「エレクトリック・バード」初の海外録音をやるそうです。ここで、デヴィッド・マシューズと運命の出会いをします。昔、CTIを担当していた川島さんは、マシューズのちょっとファンキーでソウルっぽいアレンジに心底惚れていたんだとか。ハンク・クロフォードのアルバムのストリングス、ブラス・アレンジは最高と言っていました。
川島さんは大学時代にドラムをやっていたそうで、それが役に立ったとか。ドラマーは全体の音を聴かなきゃならず、ホーンがミスしたらカバーもしなきゃならないそうです。だからバンド全体を見ているのがドラマー。
ここで、寺島さんが、以上のような川島さんの本質を見て評価しないとダメという話をします。世間では出てきた作品だけを見て、デヴィッド・マシューズとつるんでM.J.Q.とか、なんか商売して、というようなことになりがち、でも1つの世界を信じ、「これが俺のジャズだ。」とういう信念を持っているのが川島さんだと言います。
で、寺島さんや岩浪さんとはテリトリーが違っていました。ジャズファンというのは自分が一番正しいと思っているので、他人のジャズファンのあり方を誹謗中傷するくせがあり、そのやりだまにあがったのが川島さん。というわけで、ジャズ喫茶のオヤジには特に評判が悪かったそうです。今や寺島さんがやりだまにあがっていますけどね(笑)。
その頃、川島さんはスイングジャーナル誌の編集長中山康樹さんを喫茶店に連れ出し、マンハッタン・ジャズ・クインテット(M.J.Q.)を出して、一発一緒にやってみようという話になったそうです。で、中山さんから、吉祥寺のジャズ喫茶3店「メグ」「A&F」「ファンキー」の店主に呼び出しがかかり、「ジャズ喫茶のオヤジ達も是非賛同してくれ。」と、凄い力の入れようだったそうです。でも寺島さん達は反発したそうです(笑)。
寺島さんは「聴きやすくて、ルー・ソロフ!こういう風にソロ吹けば、間違いなくジャズファンは参っちゃうようなソロを吹いている。実にメロディアスな。」と言います。川島さんは「それが狙いだったんだ。」と言います。周りのポップファンとかをジャズに引っ張ってきたいんだけど、アドリブが難しいと言うので、メロディアスなソロをさせたんだそうです。ここで、川島さんから「ソロは即興で奏でる第2のメロディー。」という言葉が出たら、寺島さんがここを強調していました(笑)。川島さんは長いソロも嫌だと言っていました。これって、つまり寺島さんの今の主張そのものです(笑)。
当時はコルトレーンのソロがいいという風潮なので(これ、80年代の話ですよ。ジャズ喫茶オヤジは古い思考だったのです、笑)、そこにM.J.Q.が来たものだから、賛否両論になったと。川島さんは「岩浪先生には大変応援していただきました。」と言っていました(笑)。さすがは岩浪さん(笑)!寺島さんは「それがもしニセモノだったら今に続いていないですよね。」と。寺島さんは今はM.J.Q.を認めているようです。そうでしょうね(笑)。
ここで、M.J.Q.の1作目の《サマー・タイム》をかけることに。当初はキングの企画会議で《枯葉》が上がっていたらしいです。ところが録音で現地へ行って、リハなしで吹き始めたら、なんと《サマー・タイム》だったとか。時間がないから「もういいやっ。」ということで始めたら、それが凄い演奏になったんだそうです。なるほど、だから2作目が『枯葉』なんですね。
ここまでトークだけで約30分!
久々に聴きましたけど・・・。
トランペットの出だしはギミック臭いんですよね~。
ソロはやっぱり分かりやすくという演出がミエミエ。
ソロフが力演しているのになぜか素直に受け入れられない私です。
マシューズのトツトツとしたソロも年配向け(笑)?
テナーでもったいぶったエンディング。アレンジがね~。
やっぱりこれを凄く良いとは口が裂けても言えません(笑)。
私はこれも2枚目『枯葉』も持っています。
当時はこれを聴かないとジャズファンではなかった(笑)?
寺島さん。初めて真剣に正しく向き合って聴いたそうです(笑)。で一言。「これは、素晴らしいですね。」やはりそうなりますか(笑)?「今聴けばわかるんだけど、当時は奇抜すぎるというふうに聴こえちゃう。」と続けます。私は今でも奇抜すぎると思いますが・・・。「当時はアドリブ一発がジャズだと思っていたから、創意工夫に富んだジャズが出てくると、なんか作りもんじゃないかというのが先にきた。」と言ってました。今はこのアレンジに惹きつけられて聴かされるそうです(笑)。なるほどね~。私には昔の寺島さんのほうがまともだと思いますが・・・。
川島さん、当時はその場での簡単なヘッド・アレンジ(要はアドリブ至上主義ってことです)というのに不満があったそうです。それが新しいジャズファンを獲得できない理由と思い、M.J.Q.の様なアレンジにしたそうです。で、フュージョンが凄く参考になったと。アレンジあってのフュージョン。そのアレンジ力をストレート・アヘッドのジャズに持ってきたら面白いかなと、マシューズと夜通し話し合っていたそうです。そうしたらマシューズもそれを取り入れてくれて、川島さんが思ったとおりのジャズができたとのこと。
あ~っ、やっぱりねー。M.J.Q.はフォーマットはジャズだけどフュージョン!
ジャズ批評148号の対談「後藤雅洋×いっき」で私が言った通りだったのです。
そしてそれはジャズファンじゃなくて、ポップスファン向けだったんです。
寺島さんは、後藤雅洋さん言うところの「キング・オブ・ポピュラー・ファン」
なのであります。
ただこんなに売れるとは思わなかったそうです。7,000枚売れれば良いと思っていたのに、1枚目が15万枚。2枚目『枯葉』が累計20万枚(LP/CD合わせて)売れたんだそうです。当時、山野楽器、ヤマハ、石丸電気、新星堂、ポップス並みの売れ行きで、来るお客さん、来るお客さん皆、M.J.Q.、M.J.Q.という状況だったそうです。
キングレコードのバック・オーダーが4桁来た時があり、発売4日目で品切れだったとか。ジャズでは前代未聞。当時は渡辺貞夫さんの『カリフォルニア・シャワー』が20万枚売れ、そういうのはあったそうです。で、そういうのを買った人達がM.J.Q.を買ったんじゃないかとも言っていました。
そして、当時はまだスイングジャーナルの御威光が大きかったので、宣伝効果があったんではないか?と。更に朝日、毎日、読売の大手新聞3紙も特別扱い写真入りでCDを紹介したそうです。ジャズライフ誌に至っては、最高点を付けて「持っていけ、ドロボー!」と評を書いたとか(笑)。川島さんは嬉しい誤算だったと言ってます。つまりM.J.Q.は当時の社会現象だったということですね。
寺島さんは当時を振り返り、「我々ジャズ喫茶はあれをかけないことが誇りだった。」と言っています。「マンハッタン・ジャズ・クインテット。とんでもない!家はあんなもの置いているわけがないじゃないか。」と。ここで岩浪さんがツッコミを入れます。「寺島さん。そういうところから出てきた人でしょ。それで今よく変身しましたね。まともに。」。寺島さんは「当時は本当にそう思っていた。ジャズはコルトレーンだみたいな~。嫌いだったけど、ジャズはスピリチュアルなものというのが自分の中にあった。」と言います。
「色々聴いていくうちに、人間が変わるように、音楽の聴き方も変わってくるんですよ。その変わることに僕は何の恥ずかしさも持っていない。ちょっと体裁悪いけどね。それは岩浪さんしょうがないよね。」と続けます。岩浪さんは「他のジャズ喫茶のオヤジの中から浮いてきちゃってもそれはそれでいいんだよね。」と返します(笑)。
寺島さんは「ジャズは幅広い音楽で色んなタイプがあると分かって、ひとつじゃなく聴き手も色々な聴き方があって、それはそれで全部正しいと分かった。」と言います。川島さんも同調して「暗いジャズも考えるジャズも好きじゃなくて、ファンキーで楽しいジャズを永遠と追及する。」と言っていました。
まっ、こういう考え方もありです。
これはこれでいいんじゃないかと思いますよ。
ポップでフュージョン発想なジャズが好きでいいじゃありませんか?
寺島さんのフュージョン嫌いは、音楽性のフュージョン嫌いではなく、
単なるエレクトリック嫌いなんでしょう。
私は川島さんの話し方を聞くうちに、川島さんの人柄にも惚れてしまいました。
いい人だと思います。
ただね~。今の日本のジャズ制作サイドって、結局この川島さんや、
例の木全さん達が未だに仕切っているわけでしょ。
なので、そういうジャズしか出てこないということになります。
となれば、私にとって自ずとそういうジャズはつまらないということになります。
本番組レポートは、音楽専門・衛星デジタルラジオミュージックバードの
THE JAZZチャンネルで放送している「寺島靖国のPCMジャズ喫茶」を
もとにして書いています。
他にも楽しい番組が盛りだくさん。
放送を聴いてみたい方は ミュージックバード からお申し込みできます。
長くなるので、今日はここまで。続きはまた明日!
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