ザ・ブルーノート、ジャケ裏の真実
9月に入ってから全然涼しくならないですね。8月終わりの涼しさは一体なんだったのでしょう?
今日は小川隆夫さん著「ザ・ブルーノート、ジャケ裏の真実」を読み終わったので、この本について書きましょう。当時の興味深いエピソード満載でとても楽しく読めました。また、まだ持っていないレコードが何枚かほしくなってしまいました。
最初にこの本がどういうことを意図して書かれたのか「はじめに」から引用しておきましょう。
ちょっと長いですが、以下引用文。
いまでは、ジャスの通説として多くの人が知っているエピソードの数々、それらを教えてくれたのもブルーノートのライナーノーツである。まったく経歴のわからない新人もブルーノートのレコーディングでは少なくない。彼らのバックグラウンドや活動歴、あるいはジャスについての考えなども、必要に応じてはインタヴューも交えながら紹介してくれる。
情報がほとんど入ってこなかった時代、日本の評論家はこのライナーノーツを参考に、さまざまな知識を仕入れていたに違いない。そしてそれは、筆者も同様である。ブルーノートのライナーノーツはまさしく「トリヴィアの泉」だった。これを読めば、当時のニューヨークでジャズを楽しんでいた気分になれる。
1500番台のアルバムに掲載されたライナーノーツから、興味深い事実やエピソード、あるいは当時の評価など、リアルタイムに書かれたものならではの記述を拾い出すことで、ブルーノートの作品をもっと深く楽しみたい--そんな一助になればと思い、書いたのが本書である。
最後の段落にかかれている部分はまさにそのとおりで、ブルーノートの作品をもっと深く楽しみたい方は是非読んでみて下さい。
余談ですが、ブログで有名なさるジャス評論家の方は、ご自分が勝手に期待していた「演奏に関する記述」が少ないからと言って、そのことを指摘すべきと言っていますが、小川さんがこの本を書いた意図は上記のとおりなので、なんか的外れなことを言っていると思いました(笑)。ちなみに「エピソード」とは、本筋とは関係なしにはさまれる小話です。
ということで面白いエピソードを2、3紹介しましょう。
まずはジャケットの話。1580番ジョニー・グリフィンの『ザ・コングレゲイション』のジャケットの絵はアンディ・ウォーホルが書いたイラストということで有名ですよね。このイラストの元となるアロハ・シャツが実は他のアルバムのジャケット写真に写っているのです。マニアの方ならご存知なことなのでしょうが、私は全く気付きませんでした。
そのアルバムとは、1533番『イントロデューシング・ジョニー・グリフィン』です。グリフィンが着ているアロハ・シャツが確かに同じ柄ですね。モノ黒写真なので色がわからなかったのですが、青と緑の柄だったんですね。面白いでしょっ。
次はジミー・スミスの話。最初ピアニストだったスミスは、ワイルド・ヴィル・デイヴィスのオルガンを聴いてオルガンこそ自分の楽器と思い、夜はピアノのギグをこなしつつ昼はオルガンの練習を続け、1年後にオルガン奏者としてデビューしたとか。ベース・ノートが弾けるフット・ペダルを取り付け、レズリー社製の回転スピーカーを組合わせて独特のサウンドを作り上げたのもスミスとのことです。
最後に「ジョーンズ3兄弟」の話。ハンク、サド、エルビンの兄弟をよくそう呼ぶのだが、実はハンク:長男、サド:次男、ポール:三男、トム:四男、エルビン:五男、双子の弟ロイの6兄弟だというのだから驚きです。
他にもいろいろあるのですが、それは読んでのお楽しみです。
さて、小川さんのジャスの聴き方に関して興味深いことが書かれていたので、ここに書きたいと思います。それは『バド!/ジ・アメイジング・バド・パウエルVol.3』のところに書かれていました。このアルバムはパウエル絶不調期のアルバムとして知られていますよね。
少し省略していますが、以下引用文。
この作品を聴いて、ぼくはブルーノートで録音した最初の2枚に比べたら、見るも無残なプレイであることに驚かされ、がっかりもした。しかし、それはまだまだ聴きかたが甘かったせいだ。この作品に心がときめくようになったのは、がっかりしながらもしつこく聴き続けたからである。テクニックだけでパウエルの素晴しさは語れない。指がもつれ、心に浮かんだフレーズを正確に伝えることのできないもどかしさ、その思いまでわからなければ、彼の演奏を心から楽しむことはできない。
がっかりしたのは確かだが、実は最初から不思議なほど心の安らぎも覚えていた。どうしてなのだろう?そう考えながら繰り返しこのアルバムを聴いたことで、僕もパウエルの心情がわかるようになったのかもしれない。とはいっても、これはまったく勝手にこちらが推測しているだけのことだが。
でも、それでいいではないか。自分がひとりのアーティスト、一枚の作品にどれだけのシンパシーを感じるか。それが大切だと思う。しょせん、音楽を聴くのは自己満足である。自分が気に入ればいい話だ。理由は、ひとそれぞれである。ぼくはこのアルバムを聴いて「勝手に」パウエルの気持ちを斟酌し、そこに共鳴してきた。そしてこの作品はフェイバリット・アルバムになった。
評論家という立場だけではなく、ひとりのジャズ・ファンとして聴くこともできる小川さんを、私は素敵だと思いました。
*
雲さんからポール・チェンバースの『ベース・オン・トップ』のエピソードが好きだというコメントをいただいたので、それを追加しておきましょう。
当時マイルスとツアーに出ていたチェンバースは、ベースを配送サービスで送って、録音時は手ぶらでスタジオに入ったそうです。すると届くはずのベースがスタジオに届いていなかったとか。しかしラッキーなことに次の公演先に送るダグ・ワトキンスのベースがスタジオにあったので、ライオンがワトキンスに許可を得て、それを使ってチェンバースが録音したとのことです。
「自分の愛器をこともなげに貸してくれたワトキンスも偉ければ、それをまるでいつも弾いている楽器のように使いこなしたチェンバースもたいしたものだ。しかも、歴史に残る名盤を吹き込んでしまったのだから恐れ入る」と小川さん。チェンバース恐るべし!
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コメント
いっきさん、こんばんは。
聴く側はいつでも好きなミュージシャンの最高のアルバムを期待するのですが、演奏家の場合は、「身体能力の衰えの記録」というシリアスな部分も含まれていると思います。特に若くして自分の演奏スタイルを確立した音楽家ほど、同じではいられないでしょう(変貌し続けたマイルスだけは特別)。よく晩年の演奏を「渋い演奏」、「枯れた音」と称賛することがありますが、ミュージシャン本人は「もう、前のようには出来ない」と云う苦しさはあると思います。そういう人生も含め、愛してあげることがジャズを聴く事ではないでしょうか?死んでも愛されているアルバムが1枚でもあれば、幸せなミュージシャンだと思います。
投稿: tommy | 2008年9月 6日 (土) 03時10分
私は『ベース・オン・トップ』のエピソードが好きですね。
なんと、ダグ・ワトキンスのベースで録音していたとは!
弦高が微妙に違っているだけで、かなり弾くときの調子が狂ってしまうウッドベースですが、短時間でよくぞ弾きこなして、名演をくりひろげた!って感じです。
投稿: 雲 | 2008年9月 6日 (土) 05時07分
こんばんは。
tommyさん。
>そういう人生も含め、愛してあげることがジャズを聴く事ではないでしょうか?
わかっているのですが、ついついこの時期はイイんだけどあの時期はダメとか言ってしまいます。なかにはこういうスタイルの演奏はダメだとか言いたい放題な人もいますよね(笑)。
>死んでも愛されているアルバムが1枚でもあれば、幸せなミュージシャンだと思います。
そのとおりだと思います。
雲さん。
『ベース・オン・トップ』のエピソード。私も凄いと思いました。後世に名を残すグレイト・ミュージシャンはやっぱり凄いということなんでしょうね。
投稿: いっき | 2008年9月 6日 (土) 20時42分